今日は、宮城県富谷市の国道4号線をコストコから、古川方面に進んで1つ目の信号を右折したところ。
しんまち通りにある“恋路の坂”(こいじのさか)についての紹介です!
あら。皆さん、「え?しんまち地区って…どこ?」ってなってますか?
富谷市の役場が今の場所に出来る前は、しんまち地区に町役場がありました(今は、富谷市まちづくり産業交流プラザTOMI+という公共の建物になっています)
しんまち通りは、イオンも、成田も、明石台も、まだ開発されていなかった頃…それはそれは、とても賑わう商店街で、富谷のはじまりのまちだったようです!
それには理由があります。
実はこの地区…しんまち通りは、約400年前の伊達政宗公の時代に開宿された宿場町で、富谷の玄関口だったのです!!⇒富谷宿(とみやしゅく)
しゅくばまち【宿場町】
コトバンク、https://kotobank.jp/word/宿場町-528292
人が集まる所には、物も集まるので、おのずと商業も盛んだったみたい♪
(大名行列とか、遠征の時に、みんなが休めるように!の想いも込めて、伊達政宗公が作らせたそう。※殿(伊達政宗公)の泊まる宿場は、富谷市の隣の大和町にあるのだけれど「殿と一緒のエリアで寝るなんて、そんな!!…そんな!!滅相も無いです!!」とゆう、奥ゆかしい 位の低い家臣がゆったり休めるようにと作らせたのが富谷宿(とみやじゅく)という解釈もあるみたい。(ちょっと噛み砕いて書いてみました)
※正式には「交通拠点として整備する」という書状が残っているようです。
※地図でいうとこのエリア
これを見て、行ってみたいなと思ったのが恋路の坂(こいじのさか)です!
恋愛漫画好きとしては、恋とか、愛とかつく場所が気になります!(ドキドキ)
ということで車を停めて歩いて行ってきました!
入り口↓(しんまちめぐり駐車場から300m、徒歩4分くらい)
恋路の坂は、
明治後期から、大正時代にかけて活躍したという
宮城県出身の叙情歌人:原阿佐緒(はら あさお)と、
大学教授:石原純(あつし)(既婚者!子ども5人のパパ)が、逢瀬を重ねた富ヶ丘公園へ、人目を避けて歩いた坂だそう。
パパ…何をしているの…
歩いてみると確かに…。いい感じの歩道の細さ(車は、通れない)と、
日差しの木漏れ日具合が…なんとも言えないくらいのバランスでちょうどいい。
(光は明るく入るけど、直射日光で暑い!!と、いうことはない。)
うん。正直かなり居心地がいい。
ここでなら放課後、日が暮れるまで、気になる人と話したり、
テスト結果見せ合ったり、フェンスに座ってイヤホン半分こしたりしてもいいかも。 (人通りもあまりないし、ゆっくりなんでも話せそう…)
禁断の恋はちょっと、いただけないけど、
純粋な恋愛なら…と考え方を少し変えただけで、たちまちキュンとできる場所だなと思いました!
編集長…ちょっと妄想力強すぎるよ…少女漫画の見過ぎだよ
恋路の坂の、中央を過ぎると、
「この先に毘沙門堂(びしゃもんどう)があります」と示唆するような
とてもとても、年季の入った…いや。趣のある看板があります。(写真は撮りませんでした。是非現地で見てみてください)
この先にある毘沙門堂ついては、また後日お届けします!
昔誰かが「奥州道恋路の坂や茶の香り」という詩も詠んでいたみたい。江戸時代に栄えていたお茶と一緒に詠まれるくらいだから、恋路の坂も歴史のある坂なんだろうな〜
コメント
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[…] 恋路の坂があったりします。 […]